「はれのひ」事件で書きたかったこと2018年02月13日 01:32

少し旧聞になってしまうが、振袖の販売・貸出・着付けなどのサービスを行う「はれのひ株式会社」が成人式直前に事業を停止し、その後、破産して、大問題になった。一生に一度の大切な日を奪われた被害者には心から同情するものの、ただ、冷静になって考えると、この会社のビジネスモデルはどう考えても最初から破綻しており、なぜ、そこまで信用してしまったのか、もう少し疑ってもよかったのではないかと思っている(と言いつつ、さすがに被害者の女性たちがかわいそうで、今日までこのブログを書けませんでした)。
考えてほしい。女性が振袖を着るのは、ほぼ成人式に限られる(他に正月とか卒業式とか謝恩会とかもなくはないものの、その比率は僅かだろう)。したがって、「はれのひ」は1年以上かけて客を募りながら、サービスに必要なリソースをたった1日に集中させなければならないことになる。もし、対象となる顧客が1000人いれば、着付師を含む要員が400人程度はいなければならないはずで(2人組で1日5人の着付けをすると仮定)、レンタルの場合、料金は10万円程度だったそうだから、10万円×1000人=1億円をスタッフ数400人で分ける計算になる。すると1人あたり年間25万円にしかならず、そんな金額で会社組織を運営するのは無理だろう(社員を何人雇えるのか?)。
実際には、この25万円の中には着物の仕入費や年間の運営費なども含まれるので、人経費はほんのわずかだ。つまり、どう考えてもスタッフを確保できないのである(フリーの着付師を集めるにしても予算不足)。不思議なのは、こんな杜撰なビジネスモデルなのに、この会社に「掛け」で着物を売った呉服問屋がいることだ。僕だったら現金払いでない限り、絶対に商品はわたさない。
成功するビジネスの基本は、短期間に集中してしまうサービスを、アイデアを駆使して長期化し、リソースの分散を図ることだと思う。このため、観光産業では休日の需要を平日にシフトするためにあらゆる知恵を絞っているというのに、「はれのひ」はもっとも非効率的なビジネスモデルでやっていこうとしていた。これはまさに「天に唾する行為」であり、そんなところに人生の大事なものを託してはいけないのである。

豊田真由子議員の件2017年09月19日 23:26

秘書への暴言および暴行疑惑でお馴染みの豊田真由子議員が約3カ月間の雲隠れ、もとい「入院」を経て記者会見を行ったことでいろいろ論評されているのだが、その内容が少し気になったので、僕なりの解釈を加えておきたい。

今回、秘書への言動がきっかけで表沙汰になった事件ではあるものの、問われているのは彼女の「行為」よりも「人間性」とか人格であるように思う。表では上品でやさしい人を演じながら裏では下品で怖い人をさらけ出してしまう。そんなサイコな二面性に人々は不安や恐怖を感じるのである。

したがって、会見をするなら、まず自分が不完全で未熟な人間であったことを認めて素直に謝罪し、これからは努力するので「成長する時間をください」「数年後の自分を見て改めて評価してほしい」と決意表明をするべきだった。そうすれば、一応、筋は通るのに(それでも再起は相当に厳しいとは思う)、内容をみている限り、「人間性」への言及はほとんどなかったのは完全に失敗だろう。

結局、会見で豊田氏が反省しているようにみせていたのは「行為」についてだけで、しかも、以下のようにかなり言い訳がましいものだ。

「私の言動というものは、たとえどんな事情があったにせよ決してあってはならないことであります。そこは本当に私も、音声を聞くたびに本当に呆然としてしまいますし、どうしてこんなことを言っちゃったんだろうって、本当にどうかしてたなというふうに、どうしちゃってたんだろうというふうに思います」

つまり彼女は、

・自分の人間性にはまったく問題はない。
・特殊な事情があったのでああいう結果になってしまっただけで、一種の不可抗力だ。しかも実際には報道されているほどひどいものではなかった。

と言ったに過ぎない。これでは「論点がずれているうえに不充分」であり、とても火消しにならないだろう。

なぜ、こんなおそまつな展開になったのかと考えると、次の3つのケースが想定できる。

1、すでに周囲にはまともなスタッフがおらず、人間性および事務処理能力などに問題のある豊田氏がすべて決めている。
2、多少はスタッフがいるものの、適切なアドバイスができるレベルの人たちではない。
3、まだ少しは優秀なスタッフが残っているが、豊田氏の性格はあいかわらずで、助言を聞こうともせず自分の考えだけで突っ走っている。

豊田氏の公式ウェブサイトをみると、3カ月以上、更新が止まっており、自民党を離党(というかクビ?)したにもかかわらず、未だにこんな写真を掲載しているほどだ。こういうところが二流なんだよなあ。不祥事を起こした場合には、少しでも早くトップページに「お騒がせして申し訳ございません」といった謝罪の言葉を載せるべきなのに、そんな簡単なことがきないほどスタッフ不足なのか、あるいは本人がそうさせないのか、賢明なメディアはそのあたりも追求してほしい。

ともあれ、身を隠していようと意味のない記者会見に時間を費やしていようと、衆議院議員には手当を含めて毎月180万円以上の給与が国庫から支給されている(その他の経費も合わせると倍くらい?)。最低でも3カ月分は返上したほうがよくないか?。

犯罪は成功しない、リンちゃん事件に思うこと2017年04月01日 02:58

千葉県で起きた小学生レェ・ティ・ニャット・リンちゃんの事件、本当に悲しく、胸が痛む。犯人の早期逮捕に期待し、いくつか気が付いたことを書きたい。

この犯人、被害者の私物を処分するために10km以上、走っているケースがあり、かなり異常だ。なぜなら、移動経路が長くなるほど監視カメラやNシステムにキャッチされる可能性は高くなるからで、そう考えると、わざわざ離れた場所に少しずつ捨てる目的がわからない。いずれにしろ、探せばさまざまな「記録」が発見されるはずだ。

今回のケースで重要だと思われるのは、犯人が立ち寄った先として河原などが含まれていることだろう。あまりクルマの出入りのない未舗装の場所に入っていたとしたら、警察はすでに車種を特定できるようなタイヤ痕を採取しているに違いないし、足跡も残っていたかもしれない。そう考えていくと、犯人はかなり追い詰められているような気がするだけに、今後の動きに注目していきたい。

ジャングルジム火災事件、白熱電球だけの問題なのか?2016年11月08日 03:57

イベント展示物だった木製ジャングルジムの火災事件、被害にあわれたお子さんのご冥福を心からお祈りする。

当初は「予期できなかった事故」といったトーンの報道がなされたので、僕も「木製とはいえ、そんなに急激に燃えるわけではないから、いくつかの不幸が重なったのでは?」と軽く考えていたのだが、上の写真を見て驚いた。そして即座に「これはだめだろう」と確信する。

ニュースに出てくる事故直前の映像では子供たちがだいぶ遊んだせいか木くずが減ってきているが、製作してまもないと思われるこのシーンではたっぷり詰まっている。そしてこれを見ると、まるで「木の枠を燃やそうとする準備」をしているようだ。木くずは紙より燃えやすいので焚きつけとしては最適である。そんなものを満載したら、火が着いた場合、一瞬で燃え広がるのは当然だ。

どんな作品でも展示する自由はある。しかし、そこになんらかのリスクがあるなら、充分な対策をしておかなくてはならない。この場合でいえば上からシャワーを浴びせられるような散水装置を配置し、いざというときにはスプリンクラーのように燃え広がるのを遅らせるとか、そういった工夫だ。他にも充分な数の消火器と水バケツ、それにちゃんと対応できるスタッフによる監視は不可欠だったと思う。

報道では白熱電球を利用したことばかりに疑問が集中した。たしかにそれが直接の原因なのかもしれないが、ただ、照明を使わなかったとしてもこの作品には問題が残る。なぜなら、もし不審者が近づいてライターなどで放火したら同じ結果になるからだ。とにかく一瞬で燃え広がる構造物である以上、あらゆる事態を想定して対策をしておくのは設置者の義務である。

不思議なのは、この作品が建築学の関係者によって製作・設置されていたという点だ。彼らは当然、防火に関する技術や法規の知識を専門家としてもっているはずで、こんな構造であれば危険性が高いことは察知していなければならない。「後出し」だと思われるのを承知のうえで書くと、もし僕が事前にこの場にいれば「燃えやすそうだが対策は万全なのか?」と質問していたと思う(だって、どう考えても焚き火直前の風景にしか見えない)。それくらい危険な構造物であり、だからこそ白熱電球を近づけたなんてもってのほかなのだ。

製作・展示に関わったのは日本工業大学の生徒やスタッフだそうで、技術系なのに教授も含めてひとりもこの作品の火災リスクに気づかなかったとしたらプロ失格である(これは建築や設備の関係者ならみんな感じたと思う)。さらにいえば、このイベントには関係者以外の専門家もたくさん来場し、作品を見ているのに、なぜ誰もアドバイスしなかったのか?

最後に「後出し」ではない指摘をさせていただく。ジャングルジムのような遊具で視界を塞ぐ物体(今回は木くず)を付け加えること自体、かなり乱暴な冒険だ。前が見えにくい分、頭をぶつける危険性は著しく高まるのだから、このような作品を展示したければ一般の参加者に遊ばせるべきではない。

そもそも前衛を目指す芸術作品を判断力も未発達な幼い子供に自由に開放したという点において、この人たちは本質をわかっていない。前衛芸術とは今を徹底的に否定したところから始まるのだから、作品の出来がいいほど子供が安全に遊べるわけないのである。

もし、本当に自信のある作品を子供に使ってもらう場合には、常に監視を怠らない。少なくとも真っ当な美術館ではそうしているのであって(金沢21世紀美術館のスイミング・プール上階では落ちても大丈夫なように警備員が見張っている)、そんなことも知らなかったことが、「前衛」の作者として相当に恥ずかしいと思う。

韓国で始まった新たな「ゲーム」2016年11月02日 02:36

韓国の大統領が権限もない友人に国家機密を漏洩したのではないかと疑われている事件について、日本における一連の報道には何かもの足りなさを感じる。なぜなら、この国が巨大な「いじめ社会」であることをちゃんと説明していないからだ。

韓国では常に勝ち組と負け組が明確に分けられる。ただし、この分類は実際に勝ったとか負けたといった結果によるものではないし、多数派対少数派という単純な図式でもない。そのときどきで、より「力がありそう」なほうが勝ち組となり、劣勢になった負け組を徹底的に押さえつける。しかも、その構図は状況によって刻々と変化していくので、見極めが大変だ。すばやく勝ち組の法則を探り出し、そっち側であることを示さないと自動的に負け組にされてしまう。勝ち負けを決めるのは一種のムードであったりすることも多いので、流行に乗り遅れないように、いつもびくびくしながらゲームに参加しなければならない。

大統領は、当然、勝ち組の中心にいるはずだ。だから多くの人が群がり、恩恵を受けようとする。しかし韓国の大統領制では5年間の任期しか認められず、再選は禁止されているので、終盤の4、5年目となると、どうしても、きな臭い動きが起きてくる。

任期が終われば大統領は絶対に交代し、権力構造も変わるのだから、次の勝ち組がどこになるのか早めに察知し、そっちに付かなければ大損だ。ちなみに、退任した「元」大統領は負け組になるので、その後はさまざまな攻撃を受け、不幸な末路をたどるケースが圧倒的に多い。

朴槿恵大統領の場合も、来年の2月で「あと1年」になるはずだったので、そのあたりからいろいろな動きが始まると考えていたら、今回の問題でスケジュールが一気に早まり、批判が集中してしまった。かわいそうな気もするが、身から出た錆なのでしょうがない。

彼女を以前から知る日本人は、それなりにバランス感覚のある政治家であり、しかも父親の朴正煕元大統領が旧日本軍の将校であったことから親日家だとみなしていた。実際、日本に対して特に悪い感情をもっている素振りはなかったという(日本料理店によく行き、蕎麦が好きだったとの証言がある)。ところが、大統領になった瞬間から、なぜか反日カードを切りまくり、周囲を驚かせた。豹変の理由については、ずっと謎とされてきただけに、崔順実なる人物にコントロールされていたのだとしたら、合点がいく。

ところで、崔氏がソウルの中央地方検察庁に出頭した翌日の朝、それとは違う最高検察庁にショベルカー(先端の鋏みたいなのは解体用のグラップルアタッチメント)で突っ込んでいった男が現れ、事件は悲劇なんだか喜劇なんだかわからなくなってきた。おそらく、この犯人は2週間前まで崔氏のことも知らなかったはずで、どうしてこんな行動に出たのか、わかるのは韓国人だけだろう。

この男の行いが「義憤に駆られた」ものだと決めつけるのは、たぶんまちがいだ。先ほどの「いじめ社会」の筋でいえば、もしかすると彼は冷静に計算して今回の行動に出たのかもしれない。どういうかたちであれ、負け組転落確定の朴大統領一派に一撃を与えたという印象を得れば次の勝ち組のシンボルになれる。事実、韓国のネットでは彼のことを英雄視する書き込みが目立つので(国際的にはただの馬鹿だが)、釈放後はイベントに呼ばれたり、講演をしたりして、けっこう、いい思いができそうだ。

今回の件を含め、韓国社会はなかなか袋小路から抜け出せない。実は経済や技術における危機的な状況について近々書こうと思っていたのだが、興味深いニュースがあったので、こっちを優先した。

「中国」に肩入れする人々の不思議2016年07月12日 23:48

中国が管轄権を主張する南シナ海のほぼ全域について、国際仲裁裁判所は「歴史的な権利を主張する法的な根拠はない」と全面的に否定した。国際法に基づけば極めて真っ当な結論であり、議論の余地さえない話だ。

南シナ海において中国が勝手に設定した「九段線※」と呼ばれる境界線については僕もいくつかの著書の中で疑問を述べ続けてきたのだが、どういうわけかそれに対して否定的な意見を伝えてくる日本人が何人かいて、驚いた。なぜまともな選挙すら行っていない独裁政権の言い分をそのまま受け入れてしまうのか不思議だったからだ。しかし、いろいろ考えていくうちに、ひとつわかったことがある。

※九段線
http://globalnation.inquirer.net/files/2012/04/disputed-south-china-sea-ma.jpg

ヒトラー率いるナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)は後世の歴史観からいえばただの愚かな集団だったのだが、成長期においては意外なほど支持者が多かった。有名なところではアメリカのヘンリー・フォードは熱狂的で、多額な支援金すらわたしている。それどころか、ドイツがフランスに攻め入るまでは有力国の多くの政治家や経済人がヒトラーに理解を示していたのである。

その理由は実ははっきりしていて、独裁政権は決断が早く、わかりやすいからだ。そして停滞した世界情勢に風穴を開けてくれる可能性があるので鈍重な民主主義より魅力的に映る。つまり、「せっかち」なインテリがはまりやすい要素に満ちあふれているのである。

しかし独裁政権がやることは、あとから考えればだいたいまちがっている。これは歴史的な事実なので、中国の習政権も、今、かなりヤバイ橋を渡っていることを知らなければならない。

中国に肩入れする人は、もう少し冷静に考えてみてほしい。「南シナ海は2000年以上前から中国人が活動していたので中国の領土だ」という言い分が通るなら、日本人だってかなり広い海域に昔から進出していたのだから(南シナ海はもちろんオーストラリア近くまで行っていた人がいる)、太平洋の半分くらいは自国の経済圏だといっていいことになる。そうなるともう大変で、周辺国はすべて「歴史的な事実」を提示してさまざまな権利を主張し、さらにはキャプテン・クックの母国であるイギリスあたりも黙ってはいられず、あとはもう戦争で解決するしかない!

そういう最悪な事態を避けるために国際法が存在するのに、それを無視しようとする中国はどこに向かうのか? そしてそんな中国を一途に支持する人々はどういうユートピアを描いているのか? いろいろと興味の尽きないニュースである。


追記
「昔、俺の祖先がそのあたりにいたから今でも領有権がある」という主張を広げるなら、アメリカ大陸の先住民たちの先祖の一部は中国にまだ国家がない1万年近く前に「そのあたり」にいた可能性が高い。したがって「中国の広範囲にアメリカの管轄権が及ぶ」という考え方も成り立つんだよなあ。どうする?

ドイツはやっぱりやりすぎた?2016年06月29日 01:30

EU離脱に関するイギリスの国民投票はいろいろな意味でおもしろかった。正直、残留派が僅差で勝つと思っていただけにびっくりしたのだが(人は重大な決断を迫られると往々にして保守的な結論を選ぶものだ)、どうしてこういう結末に至ったのだろうか。その理由を僕なりに考えていきたい。

日本ではドイツのことを理想的な国家だと持ちあげる人が多い。先進的な環境およびエネルギー政策、難民への人道的な対応、そしてEUという未来志向の地域統合体を築き、中心になって運営してきているところなどが評価のポイントのようだ。しかし、そんなに手放しで誉められるほどすばらしい国なのだろうか?

ドイツが「理想的な国家」なのは、ある意味、事実で、いつの時代もこの国は理想を追求してきた。1871年、普仏戦争に勝利したプロイセン王国は同族の周辺諸国を統一してドイツ帝国を成立させる。ドイツの近代史はここから始まるのだが(実は明治維新より遅い)、フランスのように「市民革命を経ても王制時代から続く中央集権」を捨てられない古臭い国家とは異なり、「地方の自治と中央の権力を両立させた新しい連邦国家」としてスタートし、注目を集めた。計画通り多様性がうまく機能したせいなのか、その後、順調に成長を続けたドイツは遅ればせながら列強の仲間入りを果たし、植民地帝国を築いていく。ところが、調子に乗った皇帝が「オーストリア=ハンガリー帝国とスラブ系国家とのちょっとしたいざこざ」に便乗してフランスに攻め込んだことから第一次世界大戦に発展し、敗れたドイツ帝国は半世紀もたずに瓦解してしまった。

1919年、新たに誕生したドイツ国は有名なワイマール憲法を掲げた理想的な民主主義国家としてスタートし、再び世界中の注目を浴びる。ワイマール憲法はその後の各国の民主主義憲法の手本となるほどすぐれたものだったのだが、民意に忠実すぎる政治体制を巧みに利用したヒトラーによってあっさり乗っ取られ、第二次大戦の大敗につながったのは歴史の授業で習う通りだ。ちなみにヒトラーもかなりの理想主義者で、高速道路網アウトバーンの建設やロケット(ミサイル)とジェット機の開発支援など未来志向の強い政策を数多く進めている(煙草の害を最初に指摘し禁煙運動を始めたのもナチスである)。

戦後、東西に分裂させられたドイツだが、朝鮮半島のようにお互いを攻撃しあうことはなく「理想の分断国家」を演じてきたからこそ平和的な統一を成し得たのだろう。しかもそのとき、国内の混乱を防ぐために大暴落していた東ドイツマルクを西ドイツマルクと等価交換したのは大英断だったと思う。そしてこれはドイツらしい理想主義的な政策が成功した希有なケースといえる。もっとも、その原因となったのは「理想の社会主義国」を目指した東ドイツがあまりに無茶苦茶だったからで、最後は虚構だらけのインチキ国家に成り下がってしまった。

これら「失敗の歴史」の背景にあるのはドイツ人特有の理想と現実の乖離であり、要するに「見せ方はうまいが実態は全然違うじゃん」というのが良くも悪くもドイツの実像なのである。そういえば、社会主義にすればすべてうまくいくという理想を世界中に撒き散らしたのもドイツ人(正確にはプロイセン人)のカール・マルクスだった。

現在もドイツはさまざまな理想を掲げ、突っ走っている。政策がすべてが現実離れしているとまではいわないが、それでも多くは「本当に大丈夫なの?」と疑問をもってしまうものだ。とにかく政治ショーのようなきれいごとばかりが目立つ(特に難民や環境・エネルギー政策はあまりに実現性に乏しい)。さらには、実際にはたいしたことはやっていないのに「私たちはこういう未来を目指しています」と宣言することで先進的なイメージを国外にアピールするケースもあり(クリーンディーゼルなんかがそうだ)、けっこうたちが悪い。

EUが大きく成長したのは参加国にとって経済的なメリットが大きかったからだ。昔はアメリカ製品、1970年代ごろからは日本製品に多くの市場を奪われてきたヨーロッパが生き残りを図るには自分たちだけでビジネスを寡占するしかない。このため域内では関税をなくし、域外からの輸入には高い関税を課すといった強行手段に出る。本来は自由貿易に反する行為として国際社会から糾弾されてもおかしくはなかったのだが、ヨーロッパという「小さなグローバル」を形成することで平和が維持されるだろうという期待と引き替えに容認された。その結果、域内で圧倒的な工業生産力を誇るドイツは大きな利益を得るのである。

ただし、これを見て「EUで得するのはドイツだけ」と解説する知識人はよくわかっていない。いくらなんでもそれでは成立しないだろう。二番目に工業力をもつフランスはそこそこ儲けているし(原子力による安い電力を輸出できるのも強み)、人件費が低く農業が盛んな中・東欧諸国にとってもメリットはある。だからこそ大農業国のトルコはなんとかEUに加盟しようとし、大量の難民の引き受ける約束をした。

EUができたことでもっとも被害を受けたのは日本とアメリカで、それまでのように簡単に輸出できなくなったため域内に工場をつくり現地生産に切り替えた。それでも両国とも高い国力を発揮できる分野があるので対EUビジネスではそれなりの利益をあげている。関税の壁があってもそれより安い価格で生産できた中国もEU大歓迎だった。ただし、生産コストがアメリカ並みになった現在、EUへの輸出は徐々に厳しくなっていきそうだ。

このように経済的には成功したEUだが、政治的にも統一を図っていこうとする段階で齟齬が生じてくる。もともと「小さなグローバル」を目指していたのだから多様性を許容すればいいのに、なぜか共通化を強力に推し進める。たとえば「煙草は健康に悪いからこういう場所では禁煙」と決めると、それぞれの国の習慣や事情など関係なく同じルールを徹底させる。他にも政治・社会・産業などなどあらゆる分野で非常に細かいEU規定が設けられ、加盟国は国の主権を越えてその遵守を求められた。しかも規定の多くがドイツ風の理想主義をベースにしているので、そこまで厳しさを求めない国の人にとっては戸惑うばかりだ。結果、EUは「小さなグローバル」ではなく「大きなローカル」になってしまった。しかもかなりドイツ色である。このような一方的なやり方がずっとうまくいくとは思えない。

理想をひたすら追求しながら数十年ごとに大失敗を繰り返してきたドイツはこれからもその歴史を続けるのか、あるいは今度はちゃんとゴールにたどりつけるのか、未来のことは誰もわからない。しかしEUという同じ船に乗るのが正しいのかどうか、今、ヨーロッパの人々は決断を迫られているのである。

大韓航空機出火事故の裏側にあるもの2016年05月29日 00:54

僕は割と長いあいだ航空会社の整備部門の取材をしていたので、この分野の技術には多少の知識があるのだが、そういう立場で今回の大韓航空機の出火事故をみると、けっこう奥深い問題があるような気がする。

まず事故の状況を整理しておくと、5月27日昼過ぎ、羽田空港を離陸しようと時速100km以上で滑走していた大韓航空の2708便(ソウル金浦空港行き)ボーイング777-300機の左側エンジン部分から出火したため、緊急停止した。原因はまだ調査中だが、わかっていることは以下の通り。

・エンジン内部は部品が外に飛び出して散らばるほどに激しく損傷している。
・このときエンジン外側のケースを突き抜けるほどの勢いだったため、カバーの一部が欠損した。

「燃料漏れによる異常燃焼が原因では?」と推測する専門家もいるようで、整備不良が疑われているのだが、僕はもうひとつ、整備のときにちゃんと純正部品が使われていたのかという点についても調べたほうがいいと思う。実は航空機の部品のような高い品質が求められるものにも粗悪なコピー品が流通しており、そのことが空の安全を脅かしているという指摘がある。2000年にフランスで起きたコンコルド機の墜落事故は直前に離陸した別の航空機が落とした部品によって引き起こされた可能性が高いのだが、この部品も正規品ではなくコピー品だったために脱落したのではないかといわれているほどだ。もし今回の事故でもエンジン内部で部品の異常が起きていたのだとしたら、疑いは充分にある(たとえばタービンの回転で発生する遠心力や振動に絶え切れず一部の部品が吹き飛んだとか)。

大韓航空は韓進グループという韓国で9番目くらいの規模の財閥に属している(ロッテグループの次の次あたり)。ところが、この韓進グループの経営状態が非常に悪い。借金が自己資産の何パーセントあるかという負債比率は昨年1月段階で452.4%に上り、これは韓国十大財閥のなかで最悪だ。というか他はぜいぜい40~100%なので、断トツに厳しいことになる。

足を引っ張っていたのがグループを支える二大企業のひとつ韓進海運で、ここは負債比率が1000%を超えていた。つまり資産の10倍以上の借金をしていたわけで、さすがに綱渡りも続かず、今年4月、韓進グループ会長の趙亮鎬氏は経営権を放棄して銀行などの債権者に共同管理を申し出ている(事実上の身売り)。しかし、それでグループの経営が楽になることはなく、大韓航空自体も多額の借金を返済するためにリストラや資産の売却を続けた結果、ついに「尻に火が着いた」のか、趙会長は先日、最高の名誉職である平昌オリンピック組織委員長を突然辞任したほどだ(娘のナッツ・リターン事件でも辞めなかったのに)。

そのような状況で、整備にまでちゃんとリソースが注ぎ込まれているか、疑問をもつのは当然だろう。整備士の人数は充分なのか? 安いコピー部品を使っていないのか? これからは厳しい目でみられることになる。

ちなみに日本ではあまり報道されていないのだが、韓国のメディアをいろいろ検索してみると(機械翻訳使用)、たとえば2010年9月から2011年1月までのあいだに大韓航空ではエンジンの欠陥と部品の故障による運航停止事故が10件も起きていて、会社ぐるみで整備の品質が問われていたことがわかる※。そのころから比べても経営状況はさらに悪くなっているのだから、今回のような事故がさらに広がらないように今後の動向を監視していくべきだろう。
http://biz.khan.co.kr/khan_art_view.html?artid=201101242213495&code=920401&med=khan

追記
今回の出火事故では乗客が緊急脱出するときに乗務員が日本語で誘導しなかったとか(日本の空港なのに)、通常は乗務員の役目である脱出シューターの下における補助を誰もしなかったため数人の負傷者が出たとか(真っ先に遠くに逃げた?)、未確認だが乗務員が荷物を持って脱出したという噂もあり(他人にあたると危険なので手ぶらが常識だ)、緊急時の対応にもいろいろ問題はありそうだ。

日本一のバスターミナルが開業2016年04月14日 01:58

4月4日に開業したバスタ新宿に行ってみた。

バスタ新宿はJR新宿駅に直結する国内最大級のバスターミナルであり、高速路線バスの発着数は最大で1日1600便以上。24時間営業として計算すると1時間あたり約67便にもなるのだから、たしかに日本一だと思う。また隣には商業施設が入る高層ビル「JR新宿ミライナタワー」も併せてオープンしたので、新宿駅南側は一気に賑やかさを増した。

一応、解説しておくと、バスタ新宿は10年以上の期間をかけて進められてきた新宿駅南口地区基盤整備事業の一環として完成したものだ。このプロジェクトは老朽化していた新宿跨線橋(甲州街道)を通行状態のまま架け替えて道幅を広くするとともに、新たに築いた人工地盤の上にビルを建てて都市機能を強化するという大胆な計画に基づいている。日本のインフラ整備の歴史の中でも燦然と輝く大事業であり、関係者に何度か取材したことのある僕にとっても強い思い入れと大きな期待があった。

ところが、初めて足を踏み入れたバスタ新宿で感じたのは、なんともがっかりした気持ちでしかなかった。僕も高速バスに乗ることはあるので旅行者の視点で眺めてみたところ、とにかく不便だし、「これから旅に出る」という高揚感も味わえない。

理由ははっきりしている。バスターミナルの中にはいっさい商業施設がないからだ。喫茶店や立ち食いそば店はもちろんのこと、コンビニや小さな売店すらなく、あるのは飲料の自動販売機ぐらい。

「そういう機能は周囲の施設が提供するのか」と気を取り直してあたりを散策してみたのが、どうもそうではないらしい。JR新宿ミライナタワーに入る商業施設NEWoMan(※)の4階フロアはバスターミナルと直結しているのに、こじゃれたカフェが2軒あるだけで大半は物販店だ。しかもどういう基準でテナントを選んだのか知らないが、売っているものは「パリ1区に住む女性をイメージ」したワードローブだったり、「英国の伝統的な素材づかいや、ディテールにこだわったモダンでタイムレスなウェア」だったりと、バス旅行者が緊急に必要とするものではない。

じゃあ、バスに乗る前に空腹を感じた人はどうすればいいのかというと、2フロア下のJR新宿駅改札の周辺に飲食エリアが設けられているものの、なんか違うんだよなあ。感じられるコンセプトは「高級、おしゃれ、新しい……」といったあたりで、高速路線バスというローコストの交通手段を選ぶ消費者のニーズ(庶民的、わかりやすい、定番)とは真逆なのだ。

どうしてこんなちぐはぐなものになってしまったのだろうか? 企画・設計段階で綿密なマーケティング調査は行われなかったのか? いろいろ疑問を感じたので調べてみたところ、バスタ新宿の公式サイト(http://shinjuku-busterminal.co.jp/)にある「Q&A」にヒントらしきものがみつかった。

Q:売店はありますか?
A:ございません。
  飲料自動販売機をターミナル内7か所に設置しておりますのでご利用ください。

有無を言わせぬ回答から感じられるのは、新宿駅南口地区基盤整備事業における事業者ごとの役割分担だ。おそらくバスターミナルの運営会社は売店や飲食店を併設できない条件になっているのではないか。そうすることで周囲の商業施設と競合しないようにしているのだろう。

もちろん商業施設側が必要な機能を補完してくれればいいのだが、彼らは彼らでバスの利用者だけが客ではないし、少しでも単価を上げたいから「高級、おしゃれ、新しい……」といったコンセプトに走りがちになる。その結果、バスに乗る前に手軽に利用できるような売店や飲食店が生まれなかったのだと思う。

まあ、おとなの事情もいろいろあるだろうから、そのあたりはこれ以上、追求しない。とにかくそういった状況なので、バスタ新宿を利用する人はターミナルに着く前に新宿の町で必要なものを買い揃えたり、腹ごなしをしておくことを強くお勧めする(旧西口ターミナルあたりが便利なので、いったんその付近に寄ってからバスタ新宿に移動すればいい?)。

最後に大胆な予想。今後、バスの利用者が増えていくにつれ「どうしてターミナル内に売店も飲食店もないんだ」といった苦情が殺到すると思う。その結果、しばらく経つとなんらかの方法で近くにコンビニが開業するのではないか。フードコートもできて成田空港の第三ターミナルみたいになればいいなあ……と一介の旅行者は無責任に願うのである。

※NEWoMan
公式サイトはここ。https://www.newoman.jp/
これ、どう思いますか? 外国のメディアを真似たくて英字やイメージ写真を多用するあまり、どのページもわかりにくいし、とにかく全体像がつかめない。なかでも2Fの店については、JR駅の改札内なのか外なのか、いちいちマップをみないとはっきりしないのは致命的だろう。
若いデザイナー(たぶん)がとんがった仕事をすることはよくある。しかし普通はプレゼンの段階で「おとな」が注意し、バランスを保つようにするのが正しいメディアの制作手順だ。なのにそれがまったくできていない点に、バスタ新宿を含めた開発プロジェクトの未熟性を感じる。

人工知能が囲碁で勝ったからといって何?2016年03月25日 01:00

世界最強といわれる棋士に人工知能が勝ったということで、先々週あたり、ちょっとした話題になった。舞台となった韓国では今でも「人間がコンピュータに負けるわけない!」と興奮した報道がなされているそうだが、それにしてもこの騒ぎ、なんかおかしくないか?

囲碁だろうと五目並べだろうと数学によって勝つ方法が必ず導き出されるゲームは、いつかコンピュータが勝利する。これはあたりまえで、あとは「ルールが複雑なほどその時期が後に延びる」だけの話だ。どの分野であっても、いつか機械の能力は人間を上回る。これは予定された話であって、特別に騒ぐことではない。

しかしそうだからといって囲碁の魅力が失われたわけではない。機械は機械、人間は人間なので、今後も人間どうしで最強を決める戦いをすればいいだけの話だ。

だいたい、100メートル競走では150年ほど前から自動車が人間を抜いている。だからといってオリンピックの競技から外されないし、みんなもテレビに釘付けになる(「自動車より遅い」なんて誰も批判しない)。機械と人間の関係とはそういうものなのだ。

今後、さらにコンピュータが発達すると人間がいらなくなるのではないかと心配する人がいる。もちろんそれもありえない。

電信、電話、携帯電話、メールと通信システムは飛躍的に進歩し、今やコミュニケーションの大半は人と人が、直接、会わなくてもできる。しかしそれでも対面することの価値はあまり変わらず、家族も友だちも恋人も何かにつけて会いたがる。つまり人間社会の基本は変わらないのだ(進化はするが)。

実はこのあたりは科学・技術だけを見ていてもわかりにくい。むしろ経済学の理論を用いて分析していくと、無駄なお金を使ってくれないロボットだけの社会なんか成り立たないことがすぐにわかるのに、もう少し冷静に判断してほしいものだといつも思う。