希望運ぶ〝一番列車〟熊本の市電再開 ― 2016年04月22日 01:08
21日までの余震データに更新しておく。
こうやって俯瞰で見ていくと、19日夕刻のマグニチュード5.5の余震がけっこう大きな存在であることがわかる。しかしそれによって、16日未明の第二波(本震)で出し切れなかったエネルギーが多めに放出され、その後の余震の頻度が減っているようだ。
ただし、地殻内にはまだ放出される可能性のあるエネルギーが残っているはずで、余震がしばらく止むと、次に多少大きな地震が来る可能性もあるので、そのあたりは注意を忘れないでほしい。
今日のニュースでうれしかったのは、熊本の市電が一部、運行を再開したという話。市電は町の活性化にとって非常に重要なツールで、残っている地方都市はどこも比較的、元気だ(だからこそ、高度成長期に市電廃止を推進した人々は猛省すべきである)。熊本もそんな町のひとつなので、いち早く市電が復活したのは実に明るい出来事である。
1995年の阪神・淡路大震災のときにも都市圏の鉄道を急いで復旧するために多くの人が苦労し、そのことが町を元気づけるのに大いに役立った。その記録は僕が編集した『旅の尻尾』という本に残したので、一段落したら、関心のある人は、ぜひ読んでほしい。絶版になっているものの、多くの図書館にあるし、amazonの中古品などでも購入できるはずだ。
こうやって俯瞰で見ていくと、19日夕刻のマグニチュード5.5の余震がけっこう大きな存在であることがわかる。しかしそれによって、16日未明の第二波(本震)で出し切れなかったエネルギーが多めに放出され、その後の余震の頻度が減っているようだ。
ただし、地殻内にはまだ放出される可能性のあるエネルギーが残っているはずで、余震がしばらく止むと、次に多少大きな地震が来る可能性もあるので、そのあたりは注意を忘れないでほしい。
今日のニュースでうれしかったのは、熊本の市電が一部、運行を再開したという話。市電は町の活性化にとって非常に重要なツールで、残っている地方都市はどこも比較的、元気だ(だからこそ、高度成長期に市電廃止を推進した人々は猛省すべきである)。熊本もそんな町のひとつなので、いち早く市電が復活したのは実に明るい出来事である。
1995年の阪神・淡路大震災のときにも都市圏の鉄道を急いで復旧するために多くの人が苦労し、そのことが町を元気づけるのに大いに役立った。その記録は僕が編集した『旅の尻尾』という本に残したので、一段落したら、関心のある人は、ぜひ読んでほしい。絶版になっているものの、多くの図書館にあるし、amazonの中古品などでも購入できるはずだ。
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