人工知能が囲碁で勝ったからといって何?2016年03月25日 01:00

世界最強といわれる棋士に人工知能が勝ったということで、先々週あたり、ちょっとした話題になった。舞台となった韓国では今でも「人間がコンピュータに負けるわけない!」と興奮した報道がなされているそうだが、それにしてもこの騒ぎ、なんかおかしくないか?

囲碁だろうと五目並べだろうと数学によって勝つ方法が必ず導き出されるゲームは、いつかコンピュータが勝利する。これはあたりまえで、あとは「ルールが複雑なほどその時期が後に延びる」だけの話だ。どの分野であっても、いつか機械の能力は人間を上回る。これは予定された話であって、特別に騒ぐことではない。

しかしそうだからといって囲碁の魅力が失われたわけではない。機械は機械、人間は人間なので、今後も人間どうしで最強を決める戦いをすればいいだけの話だ。

だいたい、100メートル競走では150年ほど前から自動車が人間を抜いている。だからといってオリンピックの競技から外されないし、みんなもテレビに釘付けになる(「自動車より遅い」なんて誰も批判しない)。機械と人間の関係とはそういうものなのだ。

今後、さらにコンピュータが発達すると人間がいらなくなるのではないかと心配する人がいる。もちろんそれもありえない。

電信、電話、携帯電話、メールと通信システムは飛躍的に進歩し、今やコミュニケーションの大半は人と人が、直接、会わなくてもできる。しかしそれでも対面することの価値はあまり変わらず、家族も友だちも恋人も何かにつけて会いたがる。つまり人間社会の基本は変わらないのだ(進化はするが)。

実はこのあたりは科学・技術だけを見ていてもわかりにくい。むしろ経済学の理論を用いて分析していくと、無駄なお金を使ってくれないロボットだけの社会なんか成り立たないことがすぐにわかるのに、もう少し冷静に判断してほしいものだといつも思う。

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