ドイツはやっぱりやりすぎた?2016年06月29日 01:30

EU離脱に関するイギリスの国民投票はいろいろな意味でおもしろかった。正直、残留派が僅差で勝つと思っていただけにびっくりしたのだが(人は重大な決断を迫られると往々にして保守的な結論を選ぶものだ)、どうしてこういう結末に至ったのだろうか。その理由を僕なりに考えていきたい。

日本ではドイツのことを理想的な国家だと持ちあげる人が多い。先進的な環境およびエネルギー政策、難民への人道的な対応、そしてEUという未来志向の地域統合体を築き、中心になって運営してきているところなどが評価のポイントのようだ。しかし、そんなに手放しで誉められるほどすばらしい国なのだろうか?

ドイツが「理想的な国家」なのは、ある意味、事実で、いつの時代もこの国は理想を追求してきた。1871年、普仏戦争に勝利したプロイセン王国は同族の周辺諸国を統一してドイツ帝国を成立させる。ドイツの近代史はここから始まるのだが(実は明治維新より遅い)、フランスのように「市民革命を経ても王制時代から続く中央集権」を捨てられない古臭い国家とは異なり、「地方の自治と中央の権力を両立させた新しい連邦国家」としてスタートし、注目を集めた。計画通り多様性がうまく機能したせいなのか、その後、順調に成長を続けたドイツは遅ればせながら列強の仲間入りを果たし、植民地帝国を築いていく。ところが、調子に乗った皇帝が「オーストリア=ハンガリー帝国とスラブ系国家とのちょっとしたいざこざ」に便乗してフランスに攻め込んだことから第一次世界大戦に発展し、敗れたドイツ帝国は半世紀もたずに瓦解してしまった。

1919年、新たに誕生したドイツ国は有名なワイマール憲法を掲げた理想的な民主主義国家としてスタートし、再び世界中の注目を浴びる。ワイマール憲法はその後の各国の民主主義憲法の手本となるほどすぐれたものだったのだが、民意に忠実すぎる政治体制を巧みに利用したヒトラーによってあっさり乗っ取られ、第二次大戦の大敗につながったのは歴史の授業で習う通りだ。ちなみにヒトラーもかなりの理想主義者で、高速道路網アウトバーンの建設やロケット(ミサイル)とジェット機の開発支援など未来志向の強い政策を数多く進めている(煙草の害を最初に指摘し禁煙運動を始めたのもナチスである)。

戦後、東西に分裂させられたドイツだが、朝鮮半島のようにお互いを攻撃しあうことはなく「理想の分断国家」を演じてきたからこそ平和的な統一を成し得たのだろう。しかもそのとき、国内の混乱を防ぐために大暴落していた東ドイツマルクを西ドイツマルクと等価交換したのは大英断だったと思う。そしてこれはドイツらしい理想主義的な政策が成功した希有なケースといえる。もっとも、その原因となったのは「理想の社会主義国」を目指した東ドイツがあまりに無茶苦茶だったからで、最後は虚構だらけのインチキ国家に成り下がってしまった。

これら「失敗の歴史」の背景にあるのはドイツ人特有の理想と現実の乖離であり、要するに「見せ方はうまいが実態は全然違うじゃん」というのが良くも悪くもドイツの実像なのである。そういえば、社会主義にすればすべてうまくいくという理想を世界中に撒き散らしたのもドイツ人(正確にはプロイセン人)のカール・マルクスだった。

現在もドイツはさまざまな理想を掲げ、突っ走っている。政策がすべてが現実離れしているとまではいわないが、それでも多くは「本当に大丈夫なの?」と疑問をもってしまうものだ。とにかく政治ショーのようなきれいごとばかりが目立つ(特に難民や環境・エネルギー政策はあまりに実現性に乏しい)。さらには、実際にはたいしたことはやっていないのに「私たちはこういう未来を目指しています」と宣言することで先進的なイメージを国外にアピールするケースもあり(クリーンディーゼルなんかがそうだ)、けっこうたちが悪い。

EUが大きく成長したのは参加国にとって経済的なメリットが大きかったからだ。昔はアメリカ製品、1970年代ごろからは日本製品に多くの市場を奪われてきたヨーロッパが生き残りを図るには自分たちだけでビジネスを寡占するしかない。このため域内では関税をなくし、域外からの輸入には高い関税を課すといった強行手段に出る。本来は自由貿易に反する行為として国際社会から糾弾されてもおかしくはなかったのだが、ヨーロッパという「小さなグローバル」を形成することで平和が維持されるだろうという期待と引き替えに容認された。その結果、域内で圧倒的な工業生産力を誇るドイツは大きな利益を得るのである。

ただし、これを見て「EUで得するのはドイツだけ」と解説する知識人はよくわかっていない。いくらなんでもそれでは成立しないだろう。二番目に工業力をもつフランスはそこそこ儲けているし(原子力による安い電力を輸出できるのも強み)、人件費が低く農業が盛んな中・東欧諸国にとってもメリットはある。だからこそ大農業国のトルコはなんとかEUに加盟しようとし、大量の難民の引き受ける約束をした。

EUができたことでもっとも被害を受けたのは日本とアメリカで、それまでのように簡単に輸出できなくなったため域内に工場をつくり現地生産に切り替えた。それでも両国とも高い国力を発揮できる分野があるので対EUビジネスではそれなりの利益をあげている。関税の壁があってもそれより安い価格で生産できた中国もEU大歓迎だった。ただし、生産コストがアメリカ並みになった現在、EUへの輸出は徐々に厳しくなっていきそうだ。

このように経済的には成功したEUだが、政治的にも統一を図っていこうとする段階で齟齬が生じてくる。もともと「小さなグローバル」を目指していたのだから多様性を許容すればいいのに、なぜか共通化を強力に推し進める。たとえば「煙草は健康に悪いからこういう場所では禁煙」と決めると、それぞれの国の習慣や事情など関係なく同じルールを徹底させる。他にも政治・社会・産業などなどあらゆる分野で非常に細かいEU規定が設けられ、加盟国は国の主権を越えてその遵守を求められた。しかも規定の多くがドイツ風の理想主義をベースにしているので、そこまで厳しさを求めない国の人にとっては戸惑うばかりだ。結果、EUは「小さなグローバル」ではなく「大きなローカル」になってしまった。しかもかなりドイツ色である。このような一方的なやり方がずっとうまくいくとは思えない。

理想をひたすら追求しながら数十年ごとに大失敗を繰り返してきたドイツはこれからもその歴史を続けるのか、あるいは今度はちゃんとゴールにたどりつけるのか、未来のことは誰もわからない。しかしEUという同じ船に乗るのが正しいのかどうか、今、ヨーロッパの人々は決断を迫られているのである。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://happy-go-lucky.asablo.jp/blog/2016/06/29/8120521/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。